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各地の声―湿潤な詩的風土と石川の詩活動

各地の声
 湿潤な詩的風土と石川の詩活動
              砂川公子

 創とは(きず)のことである。一筋の創作も、そこに住む風土や歴史伝統と決して無縁ではない。願わくはここから、いままでに味わったことのないすっきり切れのいいお酒のように醸されて発信していきたい。
 石川県は、日本列島の真ん中あたりで日本海にのっと突き出た能登半島と耀くばかりの白山連山の豊穣な水系につながれた扇状地加賀平野を持つ。山々にぶつかってはひろがり雲が泣くので「弁当を忘れても傘忘れるな」といわれるくらい一年間を通じて湿潤である。冬場は大陸からの寒気が流れ込み、雪起しの雷が天に轟くと、静寂ややあって忽ち一面の白銀世界。すべての周縁を忘じ冬籠りに入ると、春が来るまでの間はひたすら忍耐のときだ。それは人体の奥深いところで何かが裂け生まれくるのに似ている。
 加賀の一向宗徒が治めた「百姓の持ちたる国」が滅び、この地は加賀・能登・越中の三国百二十万石を領有した前田家が江戸期金沢を居城として城下町を築いた。徳川幕府に謀反の意がないことを示すため、工芸や芸能に力を注いだので、この地だけで完結するに充分な文化土壌を築いてしまった。今も日常的に茶事芸事が盛んで、普段の茶托に至るまで木地やうるしや蒔絵や金箔と美意識の通った本物が浸透している。豊富な旬の食材を使った加賀料理も実に美しい。加賀宝生流では「天から謡が降ってくる」といわれるほどの植木職人ぶりである。
 近年北陸新幹線の開通により国内外の観光客がどっとやってくる。しかし当地は観光都市という言葉を嫌う。あくまでも文化都市の気風を保ちたいのだ。「武士は食わねど高楊枝」と、やせ我慢が思いあたる当地の言葉だ。
 明治大正昭和にかけて活躍した思想界や文学者は四高跡の石川近代文学館が網羅する。別に鈴木大拙や西田幾多郎、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星には、独自の文学館や記念館があり、学芸員や会員による研究が進む。
 近・現代詩において、金沢出身の室生犀星の存在は大きい。軽井沢にとどまらず当地の詩人たちを犀星山脈と呼ぶほど刺激してきた。戦後から現在に至る石川県下には、まずその影響を受けた中野重治のリアリスムの流れを継ぐ詩と詩論「笛」がある。濱口國雄が1961年に創刊、目下288号に至る。編集交替制をとり事務局中谷泰士を置く。詩誌「北国帯」は西脇順三郎の影響下、同じ北陸の松沢徹らにより1967年に創刊。234号の今号で発行人の新田泰久は高齢を理由に編集を後続に託す意を述べる。詩人会議「独標」は154号。詩画展や文学散歩、現代詩人の研究会を持つなど日々の刷新や学習を怠らない。事務局喜多村貢。小松市の文芸誌「蒼」は波佐間隆三らを中心に一年一回の発表の場を持つ。詩誌「禱」は全国に同人を持つ少数精鋭の詩誌である。地元の中村薺、霧山深が異才を放つ。個人誌では徳沢愛子の「日々草」が俳句も加え余力たっぷりだ。昨今は詩誌やグループに寄らず個々に活躍する詩人もいる。
 県単位の詩人組織は戦前戦後を通じ4回程立ちあがったが、いずれも3年未満で消滅した経緯がある。石川詩人会は松原敏が提唱。発起人会を経て1997年に創立。今年4月で23年目に入った。総会記念講演会では日本現代詩人会の後援を頂いた。事業は他に詩の研究会、年2回の会報、いしかわ詩人祭とアンソロジー刊行の隔年実施。加えて15年前から全国の詩人を対象に毎年課題詩による現代詩コンクールを行い、講評を加えた作品集を発行している。単発には当会の西日本ゼミナールの受け入れを2回。ほか中原中也の会金沢大会や今夏には中央大学のプロジェクトによる国際シンポジウムの参加を検討している。
 石川詩人会の今期役員は会長米村晋、理事長喜多村貢、事務局中野徹、理事に内田洋、砂川公子、中谷泰士、向川裕章、山口修治、監査石川あい。課題として高齢化による会員の半減という深刻な状況がある。
 25年前日本現代詩人会の石川県の女性会員はただ1名だった。現在は男性が1名、女性は8名となっている。彼女たちの飛翔力に期待したい。(石川詩人会理事)

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